慣行・慣例は恐ろしい…
Posted at 08/09/10 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»
正しいか、正しくないかの判断の前にある、慣行・慣例の時代は終わったのだと思う。
行政機関で発覚した裏金問題が代表格ではないでしょうか。予算消化型であった行政機関で、時期予算を確保するために予算を使い切る手段として用いられていたものだと思います。
多分、慣行・慣例的に行われてきたことで罪の意識は殆どなかっただろうなと考えられます。善悪の判断の前に慣行・慣例が立ちはだかっていたのです。
その他にも、食品の偽装や改竄、談合問題、大分県の教員採用問題もそうかも知れません。金品の授受があったものは明らかな犯罪ですが、そうでないものは罪の意識より慣行・慣例が優先されたのではないでしょうか。
こう考えると、以前は通用した(問題視されなかった)慣行・慣例が通用しなくなったと考えることができます。そうした時代は終わったのでしょうね。
すなわち、慣行・慣例を考える前に善悪の判断を優先させなければならなくなった。(判断基準が厳しくなったとでもいいましょうか…)
こうした流れの中で、東国原知事の後援会が政治資金パーティの代金徴収前に領収証を発行していた問題で、東国原知事は「不適切ではない」とはっきり言い切っています。
言い分は、先輩政治家や先輩議員さんのやり方を参考にしたのだから…これまでは指摘がなかったから…結局、慣行・慣例的に行ったことなので「不適切ではない」と言い切ったのですかね。
考えて下さい。宮崎県の職員は、裏金問題(慣行・慣例的に行われたこと)で、処分(自主返還などを含む)が下っています。職員の方は私的流用ではなく慣行・慣例に従ったことで罪の意識はなかったはずですが「不適切」と判断されています。
ここは、先輩政治家や先輩議員さんのやり方(慣行・慣例)に従ったとは言え、「お金も貰う前の領収証の発行は不適切でした」と言うべきではなかったのでしょうかね。
やっぱり、自分に甘く、他人に厳しいの…w
投稿者: miyaken 日時: 2008年9月10日 09:25