三沢光春さんの死…
Posted at 09/06/15 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»
このニュースは、6/14の朝刊で知ったのですが…熱狂的なプロレスファンではないのですが、寂しさを感じます。
プロレスといえば、日本プロレスを除名されたアントニオ猪木が設立した「新日本プロレス」(1972年1月)の異種格闘路線とジャイアント馬場が設立した「全日本プロレス」(1972年9月)の王道純プロレスが2大老舗団体となるでしょう。
その「全日本プロレス」で、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田時代の次を担い、三沢光春さんらの四天王時代を築き上げた…詳しくはないので記憶は断片的に飛び交ってしまうのですがね。
三沢光春さんは2代目タイガーマスクとして活躍、空中技が得意で、華麗に飛ぶ様が印象的であったような気がします。
当時は、テレビでの中継もレギュラー番組として定着しており、テレビで目にする機会も多かったように思います。そして、強さを示す格闘技の世界だけあって、選手層にもネジレ現象が、新日本の選手が全日本にいたり、また逆も、そして別な団体が設立されたりと、様々なドラマがあったようですが、詳しくは知りません。
そんな三沢さんも2000年6月に全日本を離脱し、プロレスリング・ノアを設立し、現在活動中であったとか、そして先日(6/13)、広島県立総合体育館で行われた試合(齋藤彰俊、バイソン・スミスVS潮崎豪、三沢光春)で、齋藤選手のバックドロップを受け頭を強く打ち動けなくなったようです。
最近では、人気がK1に移り、日テレで開局直後から55年間にわたり続いてきた全国ネットのテレビ中継も今春打ち切られ、経営者として選手として大変な思いを抱えていたのでは…
英雄がまた一人、この世を去る、ご冥福をお祈りいたします。
話は変わりますが、我が次男(6歳)の母の日、父の日の似顔絵
「母の日」の似顔絵 |
「父の日」の似顔絵 |
保育園で描いて、某スーパーに展示されていたものです。単なる親バカです。w
Tags: 三沢光春
投稿者: miyaken 日時: 2009年6月15日 10:53